何も気にしない環境とは
SNSでは言えない
ツイッターも、最近はFacebookも再開したが、言いたいことは言えない。
Facebookは”陽”の世界なので、誰それと飲み会しましたとか、自分のキックボクシング関係についてアップしている。
反対に、ツイッターは”陰”として使っている。
今日仕事で疲れたとか大変だったとか。
そして、このブログは陰とも陽とも違って、日常に起きたこと、思ったことを淡々と綴る先となった。
こういった場を持っている人は意外と少ない気がする。
結婚していれば配偶者に、行きつけの飲み屋があれば飲み屋のマスターや常連と、その手の会話をする機会はあるかもしれない。
でも、それも結局、自分以外の人向け(この人は多少興味あるだろうという何となくの想定がある前提)に話しているのであって、「これ誰得やねん?」という内容については、意外と話すことも書くこともできない。そういった場がない気がする。
そういう意味では、このブログは、自分の「誰得?」な話を綴るにちょうど良い場所となった。
人気ブロガーでも、有名人でもないので、誰の目も気にせず好きなことが書ける。
じゃあ、なぜ公開しているか
同年代や同じ趣味、同じような生活をしている人の目に触れて、シンパシーを感じることがあれば、何となくこちらも嬉しい。
書いている自分自身が、「見られている(共感してもらっている)」ことを認知するのは、よっぽどアクセスが伸びてきたり、コメントが増えなければ得られないことだけれど、ほんの少しだけそんなことも期待したい。
ここまで書いて気付いた。誰得やねん。